本の紹介です。
一冊目。
恍惚の人。1972年。
二冊目。
長いお別れ。2018年。
この2冊の本の共通点は、
認知症の「父」がテーマであることです。
アルツハイマー型の認知症に該当するのか?というとわかりにくいところもあり。ひとまず、物忘れや不潔、性的な異常行動、などが描かれております。
こういう記事もありますね。
でも随分、認知症の描かれ方が違います。
『恍惚の人』は、認知症という病気が一般的に知られていない1960年代頃を時代背景とした小説。デイサービスも介護保険もありません。自宅の隣に居住する義父の行動がおかしい(=ふるまいの逸脱)と気づいた主人公が、おそらくは認知症と思われる義父の介護を終え、漠然とした「老い」への恐怖を吐露して終わるお話。義父の異常行動(おそらくは現代では「BPSD」と呼ばれるもの)の描写も生々しいです。
『長いお別れ』は、認知症という病気が一般的に知られている現代(2010年代)を時代背景とした小説。当然介護保険もあるしデイサービスもある。妻と同居する元教師の男性が時々不可解な行動をするようになり(=ふるまいの逸脱)、妻だけではなく、娘3人も交えて、家族が「父」の認知症にどう対応してくかという話で、意外なほど「爽やか」です。
つまり「長いお別れ」には、「恍惚の人」ほど、「怖さ」や「異常さ」が描かれていない。作者のスタイルの違いによるところが大きいのかもしれませんが、背景にある社会制度や家族関係がかなり丁寧に描かれています。
認知症になって「できなくなること(できなくなったと家族が思うこと)」って結構性別役割に関するイメージを反映していそうな…。「あんなに良く家事をしていた母親がこんなにだらしなくなった」とか、「あんなにしっかりしていたお父さんが子供と同じくらい手がかかるようになってしまった」とか。
ある程度の年代より上の世代の皆さまは、家庭の中は、ある程度は「女性」が仕切ることが多かったので(家事、洗濯、子供とのコミュニケーションにおけるお世話)、家事ができなくなった母に対して、介護する息子は相当なストレスや失望を感じ、そういうことも息子から母親という関係性での高齢者虐待に関係するのでは?ということを思わせるような著作もありましたね。平山亮さんの本。
この50年余りの、日本社会における「認知症」の知名度の変化や、サービスの普及の変化を知るには、この二冊の読み比べ、オススメです。特に在宅看護の学生さんが読むととても勉強になるのではないでしょうか。
なお、「リアル」な話として、家族が自分の家族の「認知症」を疑うようになったのはいつなのか、家族はどういうふうにして自分の家族が「認知症かもしれない」ということに気づくのか、について、膨大な研究を積み重ねて、一般向けの人にも大変伝わりやすくまとめた本があります。
木下衆さんの著作です。
この本も是非読んでみてください。
木下さんのブログ。
治らなくても大丈夫、といえる社会へ/vol.02 誰かを責めるのをやめませんか?――1960年代末、「嫁さんが悪い」と言われ続けた人 - けいそうビブリオフィル